宮地嶽神社



そこのホームページを開くと最初に出てくるのが

1600年前、その山は九州北部王朝の聖域であった。

という文言だ。

宗像大社から10キロほど南にある宮地嶽神社








昔ながらの門前町







神功皇后、そして勝村大神、勝頼大神を祀る。







勝村大神、勝頼大神は神功皇后に随従した、としかわからない。 







ここは九州北部王朝の聖地だというのに、なぜ神功皇后








宗像は、沖ノ島を含めてヤマト王権支配下だという。
10キロしか離れていないこの地が九州北部王朝の聖地。
どういうことなのか時間軸で考えるしかない。







あれ、今日? 今ここでやってる?

一瞬、見たい、空気感を味わいたいと思った。
が、予定を優先した。






この神社には、大鈴、大太鼓、大注連縄の三つの日本一があるという。

たしかに大きいが、出雲の方が大きいような・・・
まぁそんな細かなことはともかく、素晴らしい注連縄です。





このグリーンのシート部分が気になっていた。

どうも、おそらく前日に行われた「筑紫舞」の舞台のようだ。
北部九州の王に捧げられた宮廷舞がルーツで、飛び跳ねるなど
ユニークな舞で阿曇族のもののようだ。




鏡はヒミコかアマテラスか、さあどっち?と思いたくなる。








ちょっとビックリした。屋根が黄金色だ。

この黄金色は、境内にある宮地嶽古墳に関係しているらしい。
円墳で、横穴式石室は飛鳥の石舞台より若干長く
そこから様々黄金を使った品が発見されたようだ。




この古墳には、九州北部王朝の王が葬られているという。
尼子娘(天武天皇の女官で高市皇子の母)の父である
宗像徳善という説があるが、時代が合わないらしい。

古墳は6世紀、徳善は7世紀。
筑紫磐井という説もあり、だとすると
九州北部王朝の聖域という表現も納得できる。






この景色が「光の道」として有名なようです。
2月と10月、真正面に太陽が沈むようです。








門前町まで戻ってきました。



1600年前、その山は九州北部王朝の聖域であった。

が、その後ヤマト王権に支配され
神功皇后を祀るに至った
ということだろうか。