藤原宮跡の南にある3跡
藤原宮は天武天皇の時、675年頃から造営が開始されたらしい。
遷都したとされる。
その藤原宮の南の道路を西から東に向かって歩いた。
B級グルメ屋台、真昼間でよかった。夕方ならここで散歩は終わっていた。
北を向くが藤原宮は見えない。と同時に高い建物も見えない。
飛鳥川を渡る。
長い直線道路が東西に続く。
飛騨、があった。
やっと宮跡に出た。
北に耳成山。
朱雀大路は、京域の中心を南北につらぬく中心道路。
この道をずっと向こう、つまり南に進めば甘樫丘を
かすめて天武持統天皇陵に突き当たるようだ。
この道の右側に二つ目の跡がある。
紀寺跡。何もない。創健時期は藤原京のすこし前らしい。
字キデラに由来とある。
紀氏の氏寺でキデラ?ちょっと無理っぽいなぁ。
三つ目の跡に向かう。
居た。人が大勢いた。
本薬師寺跡というより、
このお寺は、680年に天武天皇が建立に着手したらしい。
が、藤原宮と同様に完成を待たずして崩御したという。
このホテイアオイは近くの小学生達が植えたらしい。
9割方は一眼。三脚もちらほら。この日の私はコンデジ。
せっかくなのでアップで。ピンボケ?
この3跡は、「藤原京の南端」のつもりでいたけれど
調べてみると、藤原宮の南端で、
藤原京でいうと、真ん中よりちょっとだけ南の位置。
わずか16年の藤原京は広い。