藤原宮跡の南にある3跡



藤原宮は天武天皇の時、675年頃から造営が開始されたらしい。
686年に天武天皇崩御持統天皇の時694年にほぼ完成し
遷都したとされる。



その藤原宮の南の道路を西から東に向かって歩いた。
B級グルメ屋台、真昼間でよかった。夕方ならここで散歩は終わっていた。







北を向くが藤原宮は見えない。と同時に高い建物も見えない。








飛鳥川を渡る。








長い直線道路が東西に続く。








飛騨、があった。








やっと宮跡に出た。








北に耳成山







一つ目の跡、藤原京朱雀大路跡。

朱雀大路は、京域の中心を南北につらぬく中心道路。
この道をずっと向こう、つまり南に進めば甘樫丘を
かすめて天武持統天皇陵に突き当たるようだ。






この道の右側に二つ目の跡がある。

大坂なおみ選手の影響?女性ばかりの練習風景があった。






紀寺跡。何もない。創健時期は藤原京のすこし前らしい。

紀氏にゆかりがあるのかどうか興味があった。






字キデラに由来とある。
紀氏の氏寺でキデラ?ちょっと無理っぽいなぁ。









三つ目の跡に向かう。








居た。人が大勢いた。








薬師寺跡というより、
薬師寺跡のホテイアオイが有名なようだ。








このお寺は、680年に天武天皇が建立に着手したらしい。
が、藤原宮と同様に完成を待たずして崩御したという。








このホテイアオイは近くの小学生達が植えたらしい。








9割方は一眼。三脚もちらほら。この日の私はコンデジ








せっかくなのでアップで。ピンボケ?




この3跡は、「藤原の南端」のつもりでいたけれど
調べてみると、藤原の南端で、
藤原京でいうと、真ん中よりちょっとだけ南の位置。

わずか16年の藤原京は広い。