オオタタネコ


マイブログを探ると2010年にここの記事があった。 
おそらくそれ以来だろう、久々の大神神社

このでっかい鳥居を抜けてすぐ、参道脇に大きな無料駐車場がある。 






神社まで少し遠いが車を停めて参道を歩く。
直会殿・能楽堂ができるようだ。この日も、暑かった。






踏切を歩いて渡る。前回は車で渡ったのだろう。







この日はまず、この圧倒的な鳥居の手前を左に入った。







鳥居左手奥にある目的地の若宮社。
前回も間違いなくこの山の辺の道を歩いて、この前を通っている。






当時、あまり興味がなかったのだろう、素通りしている。







祭神は大直禰子(オオタタネコ)。 
この建物、元々はお寺の本堂だったようだ。






大直禰子、この漢字を初めて見た。 
読みは、「オオ・タタ・ネコ」の感じがする。

日本書紀では大田田根子。オオタ・タネコと思った。 
古事記では意富多多泥古。オオ・タタ・ネコと思った。 

何れにしても、大神神社の祭神、大物主の子孫とされることから
出雲系の神だろう。「大田」も「意富」も出雲の匂い。 



とすると、崇神天皇は三輪の地からアマテラスを追い出し
スサノオを祖とする出雲系の神々で固めたということになる。







一方で崇神天皇は、出雲にその神宝を献上させたという話がある。

これは、ヤマトが出雲を手中に収めた話のように思えるが
出雲族が神宝ともども三輪の地に入り込んだ話なのではないか
そして、出雲族がアマテラスを追い出したのではないか、という気もする。




マイ古代史では、崇神天皇卑弥呼と同時代ということになっている。

崇神卑弥呼の男弟だとか、崇神邪馬台国を滅ぼしたとか
諸説あるようだが、マイ古代史にそれらはない。




大神神社に入った。







いくら暑くても、一定の参拝客がいる。







崇神天皇は、末社に祀られている。

書記の尊称で一番は「尊」、その他が「命」らしい。
オオタタネコも命、崇神も命。ちなみにスサノオは尊。





いわゆる四道将軍の話は面白い。が、どんな史実を脚色したのかが興味深い。
四道の地域を見ると、出雲の話と捉える方がしっくりする。








ほう、鳥居と二上山。中々いいところを見つけた。



巻向遺跡の発掘が進んで
大規模な計画的集落があったことが確実視されている。

そして巻向は邪馬台国の中心地だという説がある。

とすると
崇神卑弥呼の男弟で天皇ではない。
もしくは卑弥呼とは時代の異なる天皇だった。
ということになる。

そんな話はマイ古代史にはない。