新城神社(にきじんじゃ)


大和郡山でもう一か所見たい所があった。
どうも車では攻められない場所のようなので歩きにした。




せっかくなので郡山城跡に寄った。
というより、ここから歩き始めた。







波乱万丈の城のようだ。








豊臣秀長が領主として入った頃は大和、和泉、紀伊の100万石。
この時の拡張工事で、墓石や地蔵を石垣に使う無茶をしたようだ。








なぜか、観阿弥供養塔があった。








手前の石垣下に「松蔭門跡」という碑があった。
柳沢吉保の半生を描いた「松蔭日記」という
書物があるらしい。関係があるのだろうか。

この石垣や土塀に囲まれて、県立郡山高校がある。





柳沢神社。右にある石碑には
「祭神旧川越甲府城主柳沢美濃守吉保公」とある。








めずらしく黄檗宗のお寺があった。永慶寺。

吉保の子、吉里が甲府から郡山へ転封した折、
甲府にあった柳沢家の菩提寺である永慶寺をこの地に移転したらしい。
吉保は、黄檗宗に帰依していたという。

大河「真田丸」が始まった。武田家滅亡から描かれている。
柳沢氏は武田氏一門で、吉保もそのことを誇ったらしい。






目的地まで、慎重に間違わないように路地を歩く。
なぜか民家が密集している。まるで環濠集落のように。







目的地が見えた。あの木立にまちがいない。
民家の密集地域を抜けると風景が一変する。








天武天皇が都を造るために視察した場所だという伝承がある。






現地では何もわからなかったが
スサノオ、アマテラス、オオクニヌシを祀るらしい。

日本書紀には、「新城」という言葉が何回もでてくるらしい。
それが特定の地を指すのか、単に新しい宮を指すのか判然としない。






視察はしたが都は造らなかった。今も荒涼感が漂う。







すぐ東を近鉄橿原線が走る。


そういえば、郡山城跡も近鉄橿原線がかすめている。
平城京跡などは近鉄奈良線が堂々と中を通っている。
べつに、どうってことないか?






周辺には金魚池が数多ある。

右の小山は郡山新木山古墳と思われる。




集落のあちこちに幅50センチ程度の水路があって
今もきれいな水が流れていた。
40数年前訪れた時は、そこに金魚が泳いでいた。


平成28年1月