賣太神社(めたじんじゃ)
天岩戸の前でアメノウズメは、おかめの面をかぶって踊った。
そして天孫ニニギの降臨に随伴して天降ったアメノウズメは
猿女君(さるめのきみ)の祖となり稗田村に本拠地を置いた。
猿女のサルは猿田彦(ウズメの夫?)のサル
あるいは「戯(さ)る女」だという説がある。
大和郡山市にある稗田環濠集落、東側の水堀。
この集落の南東にある賣太神社。
境内にあった説明板の一部。
鳥居をくぐって、すぐ左に曲がる。
猿女君は朝廷祭祀に携わった氏族で、この地で稗田姓を名乗ったらしい。
阿礼は、天武天皇の舎人だった28歳の時に
「帝紀」などの暗誦を命じられたとあるが、根拠に乏しい。
阿礼(アレ)という言葉は、
稗田阿礼は実在したのだろうか。
古事(ふること)を伝承きてきた稗田氏の巫女(女性)。
そう考えると、あまり無理がないように思える。
この紙垂(しで)が、ウズメの踊り姿に見えてきた。
少し集落内を歩いた。当たり前だが、家屋の密集度が高い。
さて、この環濠集落はいつ頃からあったのだろう。
吉野ヶ里や唐古・鍵遺跡と同じ頃とされているが。
この日は、もう一か所
大和郡山にある神社を訪ねました。