長野旅(2)須々岐水神社



松本城大手門跡にある四柱神社は、いわゆる天津神を祀りながら、
なぜか出雲の美保神社から大国主と事代主を勧請していた。
出雲と信濃がつながっている証だと思うほかない。






松本城から東に向かう。
松本市里山辺薄町(さとやまべ すすきまち)というところに
須々岐水(すすきがわ)神社がある。










「・・この地の開拓の祖神として薄川の神を祀り・・」と始まるが、
中程に「鎌倉時代に祭神をタケミナカタスサノオに改めた」とある。











灯篭の台が異様に高い。










御柱があった。









タケミナカタはほんとうに逃げたのだろうか。
オオクニヌシと越国のヌナカワヒメとの間に
生まれたタケミナカタは、出雲で育ったのち、
信濃平定のため遣わされたのだろうと思う。
でなければ、軍神という呼び名はあり得ない。










御柱の前にある石囲いは何なのだろう?










「須々岐」というのは、高句麗系渡来人が賜った「姓」だという。
この須々岐氏の祖先は6世紀末頃には帰化していたらしい。










出雲も、高句麗新羅の色合いが濃いという。









近くに兎川寺(とせんじ)というお寺がある。









聖徳太子の創建だという。
信濃で太子に出会うとは想定外。
そして聖徳太子といえば、蘇我氏


出雲神、高句麗系渡来人、蘇我氏
キーワードだけは見つかった。







須々岐水神社にも聖徳太子を祀る境内社があるという。
「桜之宮」と呼ぶらしいが、どこかは分からなかった。



今回の旅で、この神社を二重丸にしておいてよかった。

次は、古墳を見に行った。



平成27年10月