出雲大神宮

丹波国一之宮、出雲大神宮へ行った。
京都府亀岡市にある。



神社手前にあった千歳車塚古墳。
前方後円の様子がよくわかる。
ここは亀岡市千歳町という町らしい。
すぐ西には吉備という字がある。
千歳に吉備、妙な取り合わせだ。

被葬者の第一候補は倭彦王。
継体天皇とともに皇位継承者に挙げられた人だが
どうも即位する意思はなかったようである。

なぜか元明天皇とする説もあるようだ。






さて、出雲大神宮










近代的、いや現代的な匂いがする。









歩いていると出店のおばさんが
「それ、出雲の せんげ たかまさ さん の書です」
と教えてくれた。

千家尊祐さん、今の出雲国造でお子さんが国麿さん。
やはり千家家とつながりがあるのか、と少し驚いた。







どうも、「大神宮」という呼称に違和感がある。
大神宮といえば伊勢、天照系の名称だと思うのだが。










この立札にある「大八州國國祖神社」とは当神社の別称らしい。
おおやしまのくにくにのみおやのじんじゃ、とルビを振っている。
それにしても「皇祖より壱萬年以前」とはどういう意味だろう?
国常立尊(くにのとこたちのかみ)を祀っている、そのことだろうか。










本殿右に立てかけてあった。
暑さでゆるくなった頭が「平成23年がないなぁ」と考えていた。
今はわかる。東日本大震災だった。









本殿の後ろは、ご神体山の御蔭山。
地図を見ると、当神社の東側一体は出雲山と記されている。










拝殿右に何やら参道があった。









どうも、崇神天皇が再興したという社伝があるらしい。

崇神天皇と出雲といえば、出雲振根の話を思い起こす。

今回調べてみると、崇神が振根を滅ぼしたあと
丹波の氷香戸辺(ひかとべ)の子というのが書紀に登場する。
崇神が、出雲を祭れと言い出すきっかけの話のようだ。





このあたりを歩いていると、現代から古代に入った感があった。










タケミカズチとアメノコヤネ。春日社のようだ。
平安時代この一帯は、藤原系一族の荘園だったらしい。










春日社の横にある磐座。
御蔭山にもあるようだが、登らず。









御蔭の滝。










御蔭山の方へ少し入ると、上の社がある。









本殿は、オオクニヌシとミホツヒメ、
上の社は、スサノオクシナダヒメを祀る。
本殿よりやや高いところから、
そういう風情を感じる。
そういえば、出雲の日御碕神社でも
スサノオはアマテラスのやや上にいた。










上の社から下ってくると笑殿社というのがあった。
コトシロヌシとスクナヒコを祀る。
参拝の人、光を浴びて神々しく映っています。











多様な神々を祀る出雲大神宮
さすがに、アマテラスはいませんでした。

正面が出雲山でしょうか。



出雲と大和の間に位置する丹波

そしてこの千歳町辺りは
出雲大神宮、千歳車塚古墳、丹波国分寺があって
古代丹波の中心地だったらしい。


平成27年7月