国吉熊野神社

斉明天皇陵は、奈良県高市郡高取町の車木という所にあった。
そこから東南方面には、兵庫、薩摩、吉備、土佐などという
字名が続く。知らなかった。高取町は壷阪寺と高取城跡の町
だと思っていたが、まったくイメージが変わった。

上土佐、下土佐が高取町の西端で、そこを過ぎると明日香村
に入る。キトラ古墳があり、北に行くと高松塚古墳がある。

そのちょうど中間あたりに檜前(ひのくま)という字がある。
東漢氏(やまとのあやうじ)の拠点とされる。昔は、高取町
と明日香村にまたがっていたと思われる。

東漢氏は、百済伽耶あたりからの渡来系氏族で、蘇我氏
結びついて勢力をつけてきたらしい。が、崇峻天皇の暗殺や
入鹿殺害に加わったとか、訳の分からない無法者のイメージ
が強い。

壬申の乱では、一応大海人側についたとされるが、天武天皇
から「7つの悪逆を犯している」と叱責される。が、結局は
赦されたという不可思議な話。必要悪ということか。


少々回り道をしたが、和歌山県紀美野町にある国吉熊野神社
ここには坂上田村麻呂伝説がある。田村麻呂は東漢氏の血統
である。




参道途中からの眺め。









県道370号線を走っていても、熊野神社の標識はない。
結局行き過ぎていて、調べ直すと惣福寺というお寺と
隣接していることが分かり引き返した。惣福寺の標識
はあった。何故、熊野神社は書かないのだろうか。









境内。ロープが張ってある。










雰囲気はいい。ロープに気兼ねして近づかなかった。










テントの奥に何やら説明書きがある。
その手前にシャツが吊ってあって邪魔になる。









しばしシャツを横に吊るして撮った。
田村麻呂がしばらくの間、ここに居たという。










この石像は誰? と問われれば
大方の人は、田村麻呂と答えるのではないだろうか。









田村麻呂、戦勝祈願の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
が、造られたのは室町頃だそうです。










もっと近づきたかったが、結界に阻まれた。



和歌山にも田村麻呂伝説がいくつかある。
もちろん、東北地方が圧倒的に多い。

そして田村麻呂には、
紀伊の公卿の姫「悪玉姫」との話があって
とても奥深い伝承のようである。


平成27年6月