王寺・平群・斑鳩


タイトルの「王寺・平群斑鳩」は
行った町名を列記しただけのものです。


北葛城郡王寺町王寺駅
市ではなく町なのにでかい駅だ。








王寺駅の近く。
こんな処に位置していたのかと少し驚く。








しばらく南下すると達磨寺がある。
推古天皇の発願により建立とある。
聖徳太子の「片岡山伝説」に由来するお寺だという。








信貴山で自害した松永久秀の墓がある。
さりげない感じがいい。








雪丸像。聖徳太子が飼っていた犬らしい。
雪丸は言葉を話し、本堂の東北隅に葬ってほしい
と言い残して死んだという。今は西南に移されている。


達磨寺は1305年、興福寺の僧兵による放火にあったと記されている。
何故に焼き討ちされたのか、調べても分からない。








達磨寺から少し南下して西に行くと、孝霊天皇稜がある。








片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)というらしい。
さきほどの片岡山伝説の片岡か。









記紀に陵の場所として、片丘山とか片岡山と書かれている
らしいのだが、どうもしっくりこない場所である。









こんどは北上して、生駒郡平群町に入る。
行き先は、この標識に2つとも記されている。









長屋王墓。







少し離れたところに吉備内親王墓。
何故か、長屋王墓より少し大きい。


この夫婦、ふたりとも天武天皇の孫である。
藤原四兄弟によって自殺に追い込まれたのが729年
聖武天皇の時である。

持統天皇藤原不比等も世を去っていたが
何やら二人それぞれの呪縛が感じられる。







長屋王墓から少し北に行くと紀氏神社がある。








紀船守(きのふなもり)が、その祖である
平群木菟宿禰(へぐりのずくのすくね)を祀った、とある。









平群氏と紀氏は同族である、と由緒書きにある。


最近、紀氏に関する本を読んでいる。
興味深いことが山ほどあるが、
周あるいは呉(春秋)の姫氏が気になる。
日本はかつて姫氏国という名称を持っていた・・・。








平群から斑鳩に行った。
有名どころだが、初めて。法隆寺のすぐ西にある。



なんで有名になったのか?
そうか、未盗掘だということで注目されたのだ。

いっぱい遺物が出てきたそうな。石棺の中には2人。
が、被葬者が分からない。時は580年頃。場所は法隆寺西。

蘇我馬子物部守屋聖徳太子推古天皇、そういう時代。
やっぱり法隆寺聖徳太子は謎だ。




法隆寺をスルーして中宮寺へ。









見ました。国宝木造菩薩半跏像。
広隆寺の方が好みかな。









中宮寺から見た夢殿の屋根。




なんとも、とりとめない散策でした。

王寺町斑鳩町聖徳太子の町でした。
平群町は?そうか信貴山か。
平群氏は聖徳太子とともに物部守屋を討った。


聖徳太子なんていなかったのに、と書くと身も蓋もないか。


平成27年6月