海会寺跡(一岡神社)
大阪と和歌山を結ぶ紀州街道という道がある。
その街道沿いに、海会寺跡と一岡神社がある。
大阪から南下すると、鶴原あたりで孝子峠(きょうしとうげ)
越えのルートと雄ノ山峠越えのルートに分岐しているらしい。
雄ノ山峠越えのルートは熊野街道でもあり九十九王子がある。
和歌山側から雄ノ山峠を越えて北上し、海会寺跡へ行くつもり
だった。が、この道は一方通行で北上できなかった。頭の中に
地図もコンパスも持たない私は、持ち歩いているタブレットの
地図を頼りに随分回り道をしたがなんとか一岡神社に到着した。
紀州街道(熊野街道)。この道幅だから一方通行はしかたない。
海会寺跡は、この一岡神社を取り囲むようにある。
一岡神社の主祭神はスサノオ。
由緒書きによると、539年欽明天皇のときに創建、
592年崇峻天皇のときに廐戸皇子が海会寺を建立
したとある。
豪族の屋敷跡もある。
いくら調べても豪族の名は特定されていない。
素人考えでは、紀氏か大伴氏だと思うのだが。
海会寺跡。
ウィキペディアには「7世紀後半の創建と推定される」
とある。そうであれば由緒書きの時代とは少々ずれる。
海会寺は、白鳳時代における近畿の南端を示す
という説があるようだが、どうなのだろう。
写真右にある基壇には五重塔が立っていて
大阪湾に向かってその威容を誇ったという。
平成27年6月