丹生川上神社

吉野宮滝を散策してから丹生川上神社へ行った。
丹生川上神社は上社、中社、下社の3社がある。

3社はそれぞれ2,30キロ離れていて、この
名称は、格式や所在地とは無関係のようであり、
何故そうなったのか調べると、これがすこぶる
ややこしくて、腑に落ちない。





ここは中社。
罔象女神(みづはのめのかみ)という水神を祀る。


鳥居が朱と黒のツートーンである。
どうも朱は止雨、黒は祈雨と思われる。
太陽と黒雲ということか。







拝殿と本殿をつなぐ石段。



天武天皇が白鳳四年に御神教により創祀せられ」
という趣旨の由緒であるが、白鳳という元号は、
他の書物には一切なく年代は特定できないらしい。
訂正
「白鳳」は記紀にはない、つまり大和王権が定めたものではない、
いわゆる私年号のひとつで、多くの史書に出てくるらしい。







ここにも吉野離宮跡の碑があった。
吉野離宮丹生川上説があるらしく、
その根拠を簡潔に書いてある。










前を流れる高見川に沿って少し北に行き、橋を渡る。










神武天皇聖蹟の碑というのがある。
ナガスネヒコとの戦いの前に戦勝祈願を行った場所らしい。










碑の目の前に夢淵と呼ばれるところがある。
手前の「高見川」に、左から「日裏川」が、
右から「四郷川」が合流するという地点。


神武天皇戦勝祈願の折、この夢淵に壺を沈めて
魚が浮くかどうか占った。浮けば吉兆。
もちろん魚は浮いた。鮎の語源話しですね。

沈めたのは酒壺。酒で魚は浮くのだろうか?






川に降りて、しばらくして、神を見た。


正直私は、蛇は苦手である。が、蛇信仰は興味深い。
古語では「カカ」「ハハ」「ヌカ」とか言うらしい。

カガミやカカシの語源であり、鏡餅は蛇がトグロ
を巻いた形であるなど、いたるところにその名残
りを見ることができる。カカやハハは文字どおり
「母」を意味するが、これはどうなのだろう。

神はこのあと川を泳いで向こう岸に渡られた。





私は神社に戻った。本殿前を横切る透し屏。



吉野離宮は宮滝にあったのか丹生川上なのか。

お気楽な素人は、やや性格の異なる離宮
両方にあったのではないかと夢想している。


平成27年5月