補陀落山寺

熊野三山はその位置関係からか
本宮は西方極楽浄土、新宮速玉は浄瑠璃浄土
そして那智補陀落浄土と関連付けられている。



その那智大社の南東にあり海に近い補陀落山寺。









補陀落渡海の出発地。
補陀落渡海とは捨身行の一種。行者は渡海船に閉じこもり
沖合まで曳航された後、綱を切る。あとは漂い朽ちるのみ。
綱を切った場所を綱切島と呼んでいる。









渡海船。
一応屋根をつけてはいるが、中にあるのは箱である。
その箱を四方の鳥居が囲む。横にまわって箱を覗い
たが、その暗闇がまさに浄土への入口に思えた。










補陀落渡海記念碑というのがある。
右から5番めに平維盛の名がある。


維盛は、
富士川の戦いで水鳥の飛び立つ音を頼朝軍と勘違いして
総崩れとなったというあまりうれしくない話で有名である。
この時、清盛は激怒して都入りをさせなかった。

平家一門が都落ちしたのち、維盛は渡海船に乗った。
という伝えであるが、やはり諸説ある。







本堂の横に、熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)がある。









いわゆる熊野三所権現を祀っているが
摂社にさりげなくニシキトベを祀っている。









ここも世界遺産である。が、静かな佇まいだった。



渡海船には、神や仏ではなく、人間のリアリティを感じた。

記念碑に名が刻まれている金光坊という人は、
途中で船を脱出して近くの島に辿り着いたが、
すぐさま捉えられ、海に投げ込まれたという。

井上靖の「補陀落渡海記」は、この話がテーマらしい。


平成27年4月