豊浦寺跡と古宮土壇

明日香のことを考えていて、そういえば古宮土壇を
見たことがないなぁ、と思い立って急遽出かけた。


明日香はやっぱり歩き。でも、レンタサイクルも多かった。








今日のテーマは、すべてこの解説に簡潔に書かれている。
ここ向原寺は豊浦宮があったところで、その後に移った
小墾田 ( おはりだ ) 宮跡が、通称古宮(ふるみや)土壇と
されている。

よく見ると、「とようら」ではなく「とゆら」である。







まっさらな山門でびっくりした。









推古天皇は初の女帝で、この地で即位した。
蘇我馬子の計らいであろうが、飛鳥時代
始まりとされる。藤原氏などはまだいない。










本堂の前に貼ってあった。









灯籠には「なんば池」と彫られている。
廃仏派の物部尾輿が仏像を投げ入れた「難波の堀江」らしい。
またこの仏像は、善光寺に祀られていると説明書きにあった。








なんば池と向原寺の間にあった遺構。(奥の住宅ではありません)
説明書きは見当たらず。両端に「向」という文字が彫られていた。
蘇我稲目の「向原の家」と関係があるのだろうか。









古宮土壇。1本の木が 小墾田宮 跡の目印になっている。
豊浦宮とはお隣という程の距離にある。
最近ではどうも 小墾田 宮は、雷丘の南あたりにあった
という説が定説になりつつあるらしい。
ここは雷丘の西に位置する。いずれにしてもそんなに
離れてはいない。









推古天皇は628年、 小墾田 宮で崩御した。ちなみに、
聖徳太子は622年、蘇我馬子は626年死去となっている。




推古天皇蘇我氏は飛鳥にいた。
なぜ、聖徳太子斑鳩にいたのだろう。


平成27年4月