仁徳天皇陵と大仙公園
天皇陵はいくつか行ったが、仁徳さんは行ったことがない。
地図を眺めながら、面白そうなので遠回りの電車旅にした。
たま電車が走る路線の駅。いつも見慣れた風景だが
おや、公衆電話があったのかと思って写真を撮った。
JR和歌山駅から和歌山線で橋本まで行く。
和歌山線は、高校の3年間お世話になった。
もちろん、黒い煙をはく蒸気機関車だった。
あれから40数年。いつからこんな電車が。
いったん、橋本駅で降りた。
前畑秀子さん(前畑がんばれ!)の紹介写真が飾られていたり
高野町生まれの楳図かずおさんの「まことちゃん」があったり。
橋本駅から、南海高野線で三国ヶ丘まで行きます。
実はこの路線に乗ったことがなく、ワクワクです。
▲この電車は高野山方面行きです。
駅員さんに教えてもらったとおり、
北野田で鈍行に乗り換えてとうちゃこ、いえ、到着。
ふう~ん。駅前には公衆電話があるものだ。
にしても、上に乗っかっているのは何だろう。
最初、見えているのに辿りつけない状態に陥った。
南向いて歩いたが、離れていきそうで引き返して
やっと見つけた。つまり1周2850メートルか。
直線は長い。
正面へ行くには奥に突き当たって右に曲がる筈
なので、どう考えても1000メートルはない。
やっと前方後円墳の前方の右端に着いた。
向こうは左端まで見えているのだろうか。
正面に来た。
ボランティアのガイドさん(だと思う)に「こんにちは」と
声をかけられた。「こんにちは」と返事しただけでこれ以上
近づかなかった。
う~ん。気のせいか、王者の風格を感じた。
隣接する大仙公園に入った。ここもバカ広い。
この公園を抜けると、履中天皇陵がある。
が、あまりの広さに方向を見失って随分
遠回りして、正面に辿りつけなかった。
これが履中天皇陵。
前方後円墳の後円右端だと思われます。
地図を眺めながら、面白そうなので遠回りの電車旅にした。
たま電車が走る路線の駅。いつも見慣れた風景だが
おや、公衆電話があったのかと思って写真を撮った。
JR和歌山駅から和歌山線で橋本まで行く。
和歌山線は、高校の3年間お世話になった。
もちろん、黒い煙をはく蒸気機関車だった。
あれから40数年。いつからこんな電車が。
いったん、橋本駅で降りた。
前畑秀子さん(前畑がんばれ!)の紹介写真が飾られていたり
高野町生まれの楳図かずおさんの「まことちゃん」があったり。
橋本駅から、南海高野線で三国ヶ丘まで行きます。
実はこの路線に乗ったことがなく、ワクワクです。
▲この電車は高野山方面行きです。
駅員さんに教えてもらったとおり、
北野田で鈍行に乗り換えてとうちゃこ、いえ、到着。
ふう~ん。駅前には公衆電話があるものだ。
にしても、上に乗っかっているのは何だろう。
最初、見えているのに辿りつけない状態に陥った。
南向いて歩いたが、離れていきそうで引き返して
やっと見つけた。つまり1周2850メートルか。
直線は長い。
正面へ行くには奥に突き当たって右に曲がる筈
なので、どう考えても1000メートルはない。
だから、新潟直線1000メートルは嫌いだ。(関係ないか)
やっと前方後円墳の前方の右端に着いた。
向こうは左端まで見えているのだろうか。
正面に来た。
ボランティアのガイドさん(だと思う)に「こんにちは」と
声をかけられた。「こんにちは」と返事しただけでこれ以上
近づかなかった。
う~ん。気のせいか、王者の風格を感じた。
仁徳天皇は第16代天皇。先代天皇は応神天皇。いわゆる「倭の五王」の
一人ではないかという説もあるが、わからない。また最近では仁徳天皇陵
とは言わず大仙陵古墳(だいせんりょう)と言うらしい。それは、学術的
に仁徳稜と決めつけることができないという背景があってのことらしい。
一人ではないかという説もあるが、わからない。また最近では仁徳天皇陵
とは言わず大仙陵古墳(だいせんりょう)と言うらしい。それは、学術的
に仁徳稜と決めつけることができないという背景があってのことらしい。
隣接する大仙公園に入った。ここもバカ広い。
この公園を抜けると、履中天皇陵がある。
が、あまりの広さに方向を見失って随分
遠回りして、正面に辿りつけなかった。
これが履中天皇陵。
前方後円墳の後円右端だと思われます。