山陰旅14(妻木晩田遺跡)

それを眺めていると、おねえさんが寄ってきて色々説明をしてくれた。
やや迷ったが、「無料です」という言葉に「お願いします」と即座に答えた。

身元確認はされるが、無料で電動自転車を貸してくれる。
その自転車でも、一周りするのに1時間近くかかる。
それくらい妻木晩田(むきばんだ)遺跡は広い。





広いうえに、眺めがすばらしい。









いわゆる魏志倭人伝は、290年前後に書かれたもので、
2世紀後半の倭国大乱や3世紀中頃の卑弥呼のことが記されている。







その倭人伝には国別の戸数が記されていて
邪馬台国の7万と投馬国の5万が突出して多い。








妻木晩田は吉野ケ里の5倍程度広いらしい。
倭人伝には30くらいの国名が出てくるが、この地はそのうちのひとつ、
それも相当な勢力をもった国であったとしてもおかしくはない。








帰り際、おねえさんに
「なぜ、こういう小高いところにあるの?」と聞いてみた。
昔は海に近く、必ずしも高地ではなかった、という趣旨の
説明をしてくれた。その時は納得したが、
やはり倭国大乱の時代にみられる高地性集落というのが正解なのだろう。









ここに立った時、不謹慎ながら
「打ち下ろしのティグランド」にしか見えなかった。
そういえば、この遺跡はゴルフ場開発にともなって発掘されたのだった。








孝霊山だろうか。韓山(からやま)という別名もあって
高麗の人たちが運んできたという言い伝えもあるらしい。
が、私は何故か7代孝霊天皇と同じ名前だなと思った。








弥生土器といって、穴をほって野焼きで作ったらしい。


妻木晩田と、最初に訪れた荒神谷は同時期の遺跡のようである。
弥生時代というと、教科書的には人々が平和に稲作をしていた
というイメージであったが、後期は動乱の時代だったようである。
その時代、卑弥呼と出雲はどういう関係だったのだろう。

初体験の電動アシストは快適だった。


平成26年11月