浄土寺

今回の旅で最後に立ち寄ったのが小野市にある浄土寺
このありそうでない標識が駐車場の横に立っています。

 
 
 
 
 
 
 
目的は国宝の浄土堂と阿弥陀三尊像。
 
私の習性は、入口からとにかく奥に進んでから戻る、というもので
奥に進みました。そこにあった開山堂。境内の東端に位置します。

 
 
 
 
 
 
 
 
その横にあった薬師堂。
 
このお寺は、平家による南都焼討でほとんど焼失した東大寺再興のため
重源上人が勧請の拠点として設置した東大寺別所のひとつだそうです。
東大寺別所というのは7ヶ所あるそうです。

南都焼討は清盛の五男、平重衡が指揮。
平家最大の悪行と言われている事件ではありますが
重衡その人は、のち源頼朝に器量を認められた人物のようでありました。
最後は憎しみ消えぬ南都宗徒に引き渡され、
木津川畔にて斬首された。29歳。
 
 
 
 
 
 
 
真ん中奥が開山堂。その左が薬師堂。
その手間には(写真ではわかりませんが)小さな池。
他とは違う伽藍配置に、何か落ち着かない感じがしました。

 
 
 
 
 
 
 
 
浄土堂(国宝)。
東から西を向いてます。直線的な屋根が特徴です。

 
 
 
 
 
北から南を向いています。
お堂左端の小さめの扉が、阿弥陀三尊拝観の入口です。
標識は「入口」ではなく「←IN」となっています。

もちろん、中に入ると快慶作の仏像がおわします。
お堂の外見からは想像できない空間です。
真ん中の阿弥陀如来須弥壇を含めると7.5㍍だそうです。
 
 
 
 
 
 
お堂の西側です。
西日がさす夕暮れ時、蔀戸(しとみど)と呼ばれる戸を開けると
阿弥陀如来に後光がさす仕掛けになっています。

重源上人は、東大寺再興のため、
奥州藤原氏への勧請を西行に依頼したり
ここ播磨別所では強引な勧請を進めたと伝わっています。
 
 
 
 
 
 
浄土堂の南にある、謎の物体。
おそろしいのか、かわいいのか、わかりません。
未だに謎です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
境内には八幡神社もあり、その拝殿から撮ったものだと記憶しています。

重源上人が設置した東大寺七別所。他には備中や紀伊にあるようです。
紀伊の別所は、少し前に訪れた高野の真別処だということがわかりました。
 
 
平成25年11月