備中高松城

予定にはなかったが、備中高松城跡に寄った。
公園になっている。ここにお城があったのか。
無防備きわまりない。なぜ秀吉は手こずったのだろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
確かに礎石がある。
ここが難攻不落の城だったのは、周囲の沼地に由来するらしい。

 
 
 
 
 
 
 
 
黒田官兵衛が秀吉に水攻めを進言した。
来年の大河ドラマにでてくるかもしれない。

 
 
 
 
 
 
 
城主、清水宗治が「自分の命で家臣が助かるのならお安いこと」
と言って秀吉の前で切腹した。
 
浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
 

 
 
 
 
 
 
 
宗治の首塚
今に伝わる切腹の作法(ひとさし舞ったのち、潔く腹を切り、介錯人が首を斬る)は
この時の切腹が最初だと言われている。

 
 
 
 
 
 
 
これはその時のイメージ図でしょう。
宗治とその兄が船に乗って秀吉の前に出たと伝わる。

 
 
 
 
 
 
 
「水攻音頭」という文字を見た時は「そりゃないよ」と思いましたが
読み進めるうちに、こみ上げるものがありました。

本能寺のあと、明智光秀が宗治の主家である
毛利家に送った密書が秀吉側に渡ってしまった。
秀吉軍は東、毛利方は西に陣取りしていたのだから、無理もない。
その密書には 「信長を討った 和睦に応じるな」 と書かれていたらしい。
 
平成25年11月