石塔寺

苗村神社からすこし東へ行ったところに石塔寺(いしどうじ)があります。
白洲正子さんの本で知りました。

 
 
 
 
 
 
受付の右側に本堂があります。
ですが、心はすでに石段を登りきったところにありました。

 
 
 
 
 
 
 
少々長い石段ではありますが、勾配はそれほどきつくありません。

 
 
 
 
 
 
 
 
石段を登りきると、右側にあの石塔が見えた。
「思わず息を呑むような美しい塔」と白洲正子さん。
「この風景のあやしさは生涯わすれない」と司馬遼太郎
 
私は「ああ、これか」とだけ思った。

 
 
 
 
 
阿育王塔(あしょかおうとう)と呼ばれている。
日本最古らしいが、それより日本にこんな形状の三重塔は他にない。

 
 
 
 
 
 
663年、白村江の戦いに敗れた百済の人々がこの一帯に移り住み
滅び去った母国を偲んで作ったものといわれている。

 
 
 
 
 
 
 
このおびただしい数の石塔は鎌倉時代以降のものらしい。数万基といわれる。

 
 
 
 
 
 
 
 
それにしても、何故この石塔や山号が阿育王と結びついたのか。
アショカ王はインドを統一した王で、仏教を世界に広めた人物。
百済の人が敬っていたとしても不思議ではないが、
当時から阿育王塔と呼ばれていたかというと、そうではない。

 
 
 
 
 
 
 
清少納言紫式部らの女流文学が華やかし頃、ときの一条天皇が阿育王と結びつけた。
アショカ王が8万4千基の宝塔を造り、全世界にばらまいたその一つがこの石塔だと信じた。

 
 
 
 
 
 
 
 
暑くてあつくて、「よりによって、こんな日に」という自分と
「来てよかったなぁ」と思う自分がいたのでした。

 
司馬さんは、阿育王塔を朝鮮人そのものの抽象化された姿だと仰った。
言われてみればそう見えなくもないが
はじめて石の美しさを知った
という白洲さんの感じの方がわかりやすい。
 
平成25年7月