高野口散策

高野口という街は、高野山への登り口として栄えた歴史ある町らしい。
 
JR和歌山線高野口駅。
あらためて見ると、趣があります。

 
 
 
 
 
 
 
 
今日の目的は、名古曽廃寺跡と三彩釉骨蔵器の出土地。
簡単な地図を頼りに、入り組んだ道を行ったり来たり。
なかば諦め気分になりかけた時、この風景。
左右に常夜灯がある。まっすぐ行きかけたが、なぜか右折。
勘が冴えていた。

 
 
 
 
 
しばらく進むとこの交差点。
写真に記した「ここ」にある小さな道標。

 
 
 
 
 
 
 
それがこれ。やりました。ありました。
名古曽廃寺跡。

 
 
 
 
 
 
 
説明を読んでください。

 
 
 
 
 
 
 
確かに、礎石がある。

 
 
 
 
 
 
次は三彩釉骨蔵器。で、見つけたのがこの石碑。
参考にした本によれば、この一里松は和歌山城下京橋から10里の地点。
罪人の国外(藩外?)追放はここから追い払われ、
紀州藩陸奥宗光も当地から追放されたという。
そして龍馬と出会ったのでしょうか。

 
 
 
 
 
 
この石碑の横に、山に這入る細い道があった。
こわごわ入るとこんな風景。うぅーん、ちょっと気味が悪い。

 
 
 
 
 
 
 
近づいてみると、なにやら看板。少し見入っていると、
上は「出土地」、下は「三彩○骨○」と判った。
ここですね、みたいな感じで進んだ。

 
 
 
 
 
 
 
ありました。出土地の碑。
本物は、京都国立博物館にあるようです。

 
 
 
 
 
 
 
京都国立博物館のホームページを見ると
上のツボが、下くらいの大きさの石の入れ物に入っていました。
詳しくはホームページを見てください。

 
 
 
 
 
 
 
目的の2箇所を見つけてまあよかった。
が、欲を出して地図にあった「嵯峨天皇のみくるま石」を探した。
 
「腰掛け石」とあるが、「みくるま石」だとすれば
乗り物から降りる際の踏み石だと思われる。
まあ、どちらでもいいが、
嵯峨天皇空海に招かれて、高野山行幸されたのだろう。

 
 
 
 
 
 
 
一時間あまりの散策。
最後に見つけたのは「新聞の無人販売所」

 
鳥谷、今年も頑張ってや
福留、なにしにきたん?
 
 
撮影日:平成25年1月27日