2013-01-29 高野口散策 和歌山県 高野口という街は、高野山への登り口として栄えた歴史ある町らしい。 JR和歌山線高野口駅。あらためて見ると、趣があります。 今日の目的は、名古曽廃寺跡と三彩釉骨蔵器の出土地。簡単な地図を頼りに、入り組んだ道を行ったり来たり。なかば諦め気分になりかけた時、この風景。左右に常夜灯がある。まっすぐ行きかけたが、なぜか右折。勘が冴えていた。 しばらく進むとこの交差点。写真に記した「ここ」にある小さな道標。 それがこれ。やりました。ありました。名古曽廃寺跡。 説明を読んでください。 確かに、礎石がある。 次は三彩釉骨蔵器。で、見つけたのがこの石碑。参考にした本によれば、この一里松は和歌山城下京橋から10里の地点。罪人の国外(藩外?)追放はここから追い払われ、紀州藩士陸奥宗光も当地から追放されたという。そして龍馬と出会ったのでしょうか。 この石碑の横に、山に這入る細い道があった。こわごわ入るとこんな風景。うぅーん、ちょっと気味が悪い。 近づいてみると、なにやら看板。少し見入っていると、上は「出土地」、下は「三彩○骨○」と判った。ここですね、みたいな感じで進んだ。 ありました。出土地の碑。本物は、京都国立博物館にあるようです。 京都国立博物館のホームページを見ると上のツボが、下くらいの大きさの石の入れ物に入っていました。詳しくはホームページを見てください。 目的の2箇所を見つけてまあよかった。が、欲を出して地図にあった「嵯峨天皇のみくるま石」を探した。 「腰掛け石」とあるが、「みくるま石」だとすれば乗り物から降りる際の踏み石だと思われる。まあ、どちらでもいいが、嵯峨天皇は空海に招かれて、高野山に行幸されたのだろう。 一時間あまりの散策。最後に見つけたのは「新聞の無人販売所」 鳥谷、今年も頑張ってや福留、なにしにきたん? 撮影日:平成25年1月27日