織田秀信終焉の地

南海高野線としばらく並走しながら
橋本市向副(むかそい)という処へ。

 
 
 
 
 
織田秀信、幼名は三法師。織田信長の嫡孫。
三歳のとき、あの清須会議で秀吉に抱えられ
のち十三歳で岐阜城主となる。
 
 
 
 
 
関が原では西軍につき、後、高野山へ追放される。

 
 
 
 
 
 
異説あるようだが、高野山からも追放されて
ここ向副村で閑居し、地元の娘との間に織田秀朝を儲けたとある。

 
 
 
 
 
 
 
碑と小さな祠があるだけ。

 
 
 
 
 
 
少し裏手に回ってみた。なにやら象徴的な風景。

 
享年26歳だったそうだが、一族は今もこの地に健在らしい。
 
 
撮影日:平成24年12月2日