2013-01-14 織田秀信終焉の地 和歌山県 南海高野線としばらく並走しながら橋本市向副(むかそい)という処へ。 織田秀信、幼名は三法師。織田信長の嫡孫。三歳のとき、あの清須会議で秀吉に抱えられのち十三歳で岐阜城主となる。 関が原では西軍につき、後、高野山へ追放される。 異説あるようだが、高野山からも追放されてここ向副村で閑居し、地元の娘との間に織田秀朝を儲けたとある。 碑と小さな祠があるだけ。 少し裏手に回ってみた。なにやら象徴的な風景。 享年26歳だったそうだが、一族は今もこの地に健在らしい。 撮影日:平成24年12月2日