天智天皇稜から智積院

元慶寺参拝のあと、天智天皇稜へ寄りました。
中臣鎌足談山神社で語らい
蘇我入鹿を暗殺したあの中大兄皇子です。








木々に囲まれた緩やかな丘陵地にあります。天智天皇、時は飛鳥時代
この時代を含め平安時代までの陵は、ほぼ奈良や大阪にあります。
平安以前の天皇で京の地にある陵は、唯一と言っていいのではと思われます。






日本で始めて時計を作ったのが天智天皇と言われています。水時計です。日本書紀にその日が6月10日と記されていて、今は時の記念日となっています。

そのことに因んで参道入口近くに、水時計ではなく、なぜか日時計が立っています。












御陵から智積院かいました。


























智積院は庭園や長谷川等伯の障壁画で有名なようです。


























でも、私が興味を持ったのは智積院の正式名称
「五百佛山(いおぶさん)根来寺智積院」でした。
紀州根来寺そのまんまの名前五百仏山






















やはり、秀吉の根来攻めと関係があったようです。
智積院は、根来寺塔頭のひとつだったようです。










後日、紀州根来寺へ確認のため行って来ました。五百仏山は参道の南にあります。



























根来は紅葉でした。
















































撮影日:   天智天皇稜・智積院   平成24年10月31日
紀州根来寺        平成24年11月25日