海住山寺と恭仁京

 
当尾の里から北へ向かい木津川を渡り
海住山寺(かいじゅうせんじ)というお寺に行きました。
そんなに高い山ではありませんが、車でも体に力が入るほどの急坂です。
 
 
本堂

 
 
 
今、奈良国立博物館では解脱上人貞慶の特別展が開かれています。
このお寺は、その解脱上人が晩年住まわれ
また、解脱上人によって名付けられたお寺のようです。
 
解脱上人と慈心上人の墓所

 
 
大河ドラマの影響もあってか
信西という人に興味が湧いていたのですが
解脱上人は、信西のお孫さんのようです。
 
 
 
五重塔(国宝)。鎌倉時代

このお寺の創建は古く
聖武天皇があの盧舎那仏造立工事の平安祈願のため建立とあり
当時は藤尾山観音寺と名付けられたそうです。
貞慶が海住山寺と名付ける約500年前になります。
 
 
 
 
このお寺の南にあるのが、恭仁京跡です。
橘諸兄の本拠地があったところで、瓶原(みかのはら)と呼ばれる場所のようです。

 
聖武天皇はこの頃、それまでの平城京から
恭仁京(740年)、紫香楽宮(743年)、難波京(744年)と遷都し
そして745年平城京に戻るという、不可解なことをしています。
 
741年には国分寺建立の詔を発し
この恭仁京跡に国分寺を建立しました。

大きな礎石は、七重塔のものだそうです。
 
 
 
 
 
海住山寺は、左に見える小高い山の中腹にあります。

 
742年には太宰府を廃止、743年には盧舎那仏建立の詔
そして745年には平城京に戻り、太宰府も復活。
何があったのでしょうか。
誰か、黒幕がいたのでしょうか。
 
撮影日:平成24年5月4日