中言神社

「名草姫を調べよ」とN氏に言われて、調べました。
で、和歌山市にある中言神社に行ってまいりました。久々の自転車でした。狭い道を通ります。

 
 
 
竃山神社に近い処にあるのですが、ここは日前宮の摂社のようです。

 
 
 
今は小さい境内ですが、往時あった壮大な神殿が絵図に残っているそうです。

 
 
 
右が本殿。祭神は名草姫命と名草彦命です。

 
 
 
名草彦は産土神のようです。名草姫との関係は、よくは分からないそうです。

名草姫はこの地方の統治者でありましたが、神武東征の折り戦死したと日本書紀に伝わります。
「誅殺」という言葉が使われていて、逆賊扱いされています。
もちろん地元では慕われた存在であったと思います。
名草姫の死後、紀伊を治めたのが紀氏です。
 
 
 
神社の近くにY小学校の「分校」がありました。Y小学校はここから2キロ以上離れていますが
1キロ足らずのところにはS小学校があります。
分校にも驚きましたが、学校の位置関係も不可思議でした。ここにも「歴史」があります。

 
 
 
帰りに、前から気になっていた石碑を見に行きました。
それは、和歌山電鐵貴志川線竃山駅にあります。

昭和7年に、「皇陵巡拝会」(拝の字が違うかもしれません)が建てたとあります。
彦五瀬命の右の字が削られています。気になります。
 
 
撮影日:平成24年1月7日