飯豊天皇

宮内庁の歴代天皇資料を見ても、飯豊天皇(いいとよてんのう)という名は出てきません。
ですが、確かにあります。

 
 
綺麗に整備されていて、すがすがしい空間です。

 
 
 
「陵」は天皇・皇后のお墓で、この飯豊青皇女天皇とされています。

 
 
話は、第22代天皇清寧天皇
皇子がいなかったことを気に病んでいたが、清寧天皇2年(481年)、市辺押磐皇子の子である億計王(後の仁賢天皇)・弘計王(後の顕宗天皇)の兄弟を播磨で発見したとの情報を得、勅使を立てて明石に迎えさせる。翌年(482年)2王を宮中に迎え入れ、億計王を東宮に、弘計王を皇子とした。
                                       <ウィキペディアから引用>
 
この第23代顕宗天皇、第24代仁賢天皇の前か、あるいはその間かに執政した「幻の女帝」と言われているのが飯豊天皇です。
 

 
 
 
飯豊天皇の執政場所と伝わる神社です。

 
 
 
この神社の南には、忍海(おしみ)小学校があります。

 
 
 
今は狭い境内ですが往時は、由緒書きにあるように広大であったようです。

 
 
 
鏡池飯豊天皇が鏡に使っていたと伝わる池です。
 
 
 
綺麗な水、という訳ではありませんが、確かに景色がよく写っています。

 
 
21代雄略天皇、22代清寧天皇、23代顕宗天皇、24代仁賢天皇、そして25代武烈天皇、26代継体天皇とつながる頃の話です。古事記日本書紀では記述内容が異なっているようです。
 
撮影日:平成24年1月9日