天野の里

きのう(5/4)高野山の麓にある天野へ行きました。2度目です。
初回は丹生都比売神社に寄っただけでしたが、今回は史跡も見てきました。
 
天野トンネルを抜けると、ゆるやかに包まれるような盆地がひらけます。
標高は約450メートル。

 
 
田植えが始まっていました。「天野米」というお米がとれるようです。
 
 
 
天野トンネルを抜けて丹生都比売神社につくまでに、いくつかの史跡があります。
標識がなければ見過ごすようなこの一画が、一の滝不動(いちのたきふどう)。
空海と狩場明神(かりばみょうじん)が初めて出会った場所ということです。
 
 
 
ここは柳沢明神(やなぎさわみょうじん)。
狩場明神が空海に丹生明神(丹生都比売大神)を引き合わせた場所とあります。
丹生明神が空海高野山を譲った(貸した?)という伝説です。

 
 
 
次は「横笛の恋塚」です。
史跡の多くは、このように普通の民家の庭や畑にあります。

 
 
建礼門院の官女横笛と
平重盛(しげもり)に仕えた若侍斎藤時頼(滝口入道)の悲恋物語
身分違いの恋を許されなかった時頼は仏門に入り、のち高野山に登る。
滝口入道を慕う横笛はこの地に庵を建てたが病でこの世を去る。19歳。

 
 
横笛の恋塚から丹生都比売神社方面に少し行くと西行があります。
西行(俗名は佐藤義清)は紀伊国田仲荘(和歌山県打田町)の生まれ。
出家後は諸国をめぐりますが、この地に庵を結んだとしても不思議はありません。

 
 
少し出来過ぎのような景観ではあります。

 
 

西行堂を見て、
車に戻りかけて
ふと見上げるとこの看板。
 
もしや・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西行堂から少し行くと
西行妻娘宝篋印塔(さいぎょうさいしほうきょういんとう)があります。
西行の後を追い、尼になってこの地で読経の生活を送った妻娘の供養塔。
 
 
 
この後は丹生都比売神社へ向かいました。
歩くと汗ばむ、ポカポカ陽気でした。

和みます。