2011-05-05 天野の里 和歌山県 きのう(5/4)高野山の麓にある天野へ行きました。2度目です。初回は丹生都比売神社に寄っただけでしたが、今回は史跡も見てきました。 天野トンネルを抜けると、ゆるやかに包まれるような盆地がひらけます。標高は約450メートル。 田植えが始まっていました。「天野米」というお米がとれるようです。 天野トンネルを抜けて丹生都比売神社につくまでに、いくつかの史跡があります。標識がなければ見過ごすようなこの一画が、一の滝不動(いちのたきふどう)。空海と狩場明神(かりばみょうじん)が初めて出会った場所ということです。 ここは柳沢明神(やなぎさわみょうじん)。狩場明神が空海に丹生明神(丹生都比売大神)を引き合わせた場所とあります。丹生明神が空海に高野山を譲った(貸した?)という伝説です。 次は「横笛の恋塚」です。史跡の多くは、このように普通の民家の庭や畑にあります。 建礼門院の官女横笛と平重盛(しげもり)に仕えた若侍斎藤時頼(滝口入道)の悲恋物語。身分違いの恋を許されなかった時頼は仏門に入り、のち高野山に登る。滝口入道を慕う横笛はこの地に庵を建てたが病でこの世を去る。19歳。 横笛の恋塚から丹生都比売神社方面に少し行くと西行堂があります。西行(俗名は佐藤義清)は紀伊国田仲荘(和歌山県打田町)の生まれ。出家後は諸国をめぐりますが、この地に庵を結んだとしても不思議はありません。 少し出来過ぎのような景観ではあります。 西行堂を見て、車に戻りかけてふと見上げるとこの看板。 もしや・・・ 西行堂から少し行くと西行妻娘宝篋印塔(さいぎょうさいしほうきょういんとう)があります。西行の後を追い、尼になってこの地で読経の生活を送った妻娘の供養塔。 この後は丹生都比売神社へ向かいました。歩くと汗ばむ、ポカポカ陽気でした。和みます。