九度山散策

高野を源流とする丹生川が、紀ノ川と合流する所、九度山その丹生川沿いに真田庵があります。

 
真田庵近くに駐車場があるらしいことは知っていましたが、
少し離れたところにあるこの「ばかでかい」無料駐車場が気に入って、車を停めました。

 
 
ばかでかい駐車場から高野山へ登る車道を歩いてゆくと「真田庵入口」の標識があり、そこから細い路地に入るとこの標識に出会います。
 
 
ここ真田庵<正式には善名称院(ぜんみょうしょういん)>は真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡と伝えられていますが、後で地元の人にお伺いしたところ、ここは、昌幸が家来とともに暮らしていた所で、幸村は家族とともに、もう少し東へ行ったところに居を構えていたらしいとのことでした。
「そこは残っているんですか」とたずねたところ、
「ここらしい、という場所が伝えられているだけです」とのことでした。

 
 
 確かにお寺というより(武家)屋敷です。

 
 
確か、正門から入ったので、ここは裏門になるのでしょうか?
でも、こちらの方がお寺らしい趣がありました。

 
 
この門にあった「六文銭」と「菊紋」。ちなみに、この十六弁菊は南朝の紋だそうです。
 
 
よく写真で見かける白壁です。左側には、「真田そば」と書かれたお店があります。

 
 
近くに「抜け穴伝説」の場所があると書かれていたので、行ってみました。

 
 
住宅街の中に、ぽつりあります。

 
 
このあと、「松山常次郎記念館」という所を訪れました。
なんとなく、あの平山郁夫画伯と関係があるらしい、という程の興味でした。
記念館と言っても、少し広い目の民家の佇まいです。
 
入館者(?)も私ひとりで、前半はご主人らしき人、後半は奥さんらしき人にマンツーマンで説明をして頂きました。いろんなことを整理すると
ここは、松山常次郎の生家だった所。
②松山常次郎の長女美知子さんが平山画伯の奥さん。
③1階には、平山画伯が描いた松山常次郎像(スケッチ)がある。
④2階には、小澤道治の絵が2点ある。
⑤小澤道治という方は、美知子さんのいとこにあたる。
⑥小澤道治さんのご子息と、その奥さんが、この記念館のお世話をされている。
ということになります。

 
 
次に、「対面石」というものを見に行きました。
弘法大師は月に九度、槙尾山(和泉)に参詣されていた。 ある時、吉野川の水が増水し、大師が渡りかねていた時 「大師が槙尾明神と対面せし処」 とあります。

 
 
帰りに、「勝利寺」というところに寄りました。高野表参道の玄関口と説明されています。
行って分かったのですが、ここは、丹生官省符神社の裏手にあたり、町石道の側にあります。

 
 勝利寺仁王門。

 
 
 本堂。

 
 

 
 
今日は真田庵を目的に、割合軽い気持ちで行ったのですが、
思いがけない事が重なって、ちょっと消化しきれない状況です。