丸岡城
福井県の丸岡城を訪れました。「一筆啓上」で有名な丸岡町にあります。
綺麗な紅葉が出迎えてくれました。
徳川家家臣で「三河三奉行」のひとり、本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てて送った
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の手紙が有名です。
この「お仙」が、本多重次の息子・仙千代で、後の丸岡城六代目城主、本多成重です。
このお城は、現存天守(12天守)の中でもっとも古いとされています。
(最古は犬山城という説もあるようです)
築城は、柴田勝豊(勝家の甥)で天正四年(西暦1576年)。
見上げた第一印象は 「枯れてるなぁ」 でした。
天守からの眺めです。ぐるり周りは平地で、ここだけがぽつんと丘になっています。
椀子(まりこ)皇子(継体天皇の御子)がうぶ声をあげたという伝説から椀子岡と名づけられ、その後
丸岡と呼ばれるようになったとのことです。
屋根は瓦ではなく、めずらしい石瓦です。
いっとき石製の鯱がのっかっていたようですが、今はもとの木彫銅板張りに復元されています。
天守の下には、庭園が整備されています。
綺麗な紅葉が出迎えてくれました。
徳川家家臣で「三河三奉行」のひとり、本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てて送った
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の手紙が有名です。
この「お仙」が、本多重次の息子・仙千代で、後の丸岡城六代目城主、本多成重です。
このお城は、現存天守(12天守)の中でもっとも古いとされています。
(最古は犬山城という説もあるようです)
築城は、柴田勝豊(勝家の甥)で天正四年(西暦1576年)。
見上げた第一印象は 「枯れてるなぁ」 でした。
天守からの眺めです。ぐるり周りは平地で、ここだけがぽつんと丘になっています。
椀子(まりこ)皇子(継体天皇の御子)がうぶ声をあげたという伝説から椀子岡と名づけられ、その後
丸岡と呼ばれるようになったとのことです。
屋根は瓦ではなく、めずらしい石瓦です。
いっとき石製の鯱がのっかっていたようですが、今はもとの木彫銅板張りに復元されています。
天守の下には、庭園が整備されています。