橿原市にある古墳



訪問日:2018年4月初旬


その古墳は明日香村にあると思い込んでいた。
が、行ってみて橿原市であることに気づいた。

菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)。
この標識の向こうは明日香村、手前が橿原市







この道が境界線のようだ。向かって右が明日香村。







この境界線の道をしばらく行くと左手に標識があった。






難なく到着。







築造時期は7世紀中頃。前方後円墳の時代は終わっている。







方墳で、右奥に見える建屋の中に家形石棺が2基ある筈。







肉眼では、かろうじて2基見えた。

諸説あるが、蘇我蝦夷と入鹿の棺だと思い込んでやってきた。
元々は入鹿の墓で、後に近くの小山田古墳から蝦夷の棺が移された
というストーリーで、なかなか魅力的だ。





帰りがけ、おじさん二人がやってきた。






予定にはなかったが、道端の標識を眺めていると
近くに植山古墳というのがあるらしく行ってみた。
方角だけ頭に入れてぽっつら歩いていると住宅街に迷い込んだ。






もう一度タブレットで位置を確認して住宅街を脱出。
と、そこにそれらしき丘を見つけた。







丘をまわり込んでみる。当たり。だが、立入禁止、だった。

このリュックのおじさんは先ほどの二人連れ。
私は随分とゆっくり遠回りをしたようだった。





整備工事中ということか。







しかたなく、戻ろうかと思いながらこの標識を眺めていた。

丸山古墳は行ったことがある。素戔嗚命神社?なんか記憶にある。
すぐそこなので行ってみるとやっぱり見覚えがあった。
その時は、この植山古墳の存在は知らなかった。
思い付きで出歩くからこういうことになるのだ、と反省しつつも・・・



最短ルートで戻ろうと丘のまわりを歩いていて、
古墳公園の裏手と思しきところに神社があるのに気付いた。






登りきると小ぶりの本殿らしき建物。
その奥は明るく開けているように見えた。






細い道を抜けた。
おお、これは古墳公園の頂上!?
入っていいのかな?まあ、いいか。






このブルーシートの下に棺があるのだろう。

調べてみると、ここも東西二つの石室があるらしい。
そして被葬者は推古天皇とその子竹田皇子だという。
河内磯長谷にある推古天皇陵に改葬される前の合葬墓という説らしい。  



奇しくも今日は二つの棺があるふたつの古墳を訪れた。


以上が4月の方墳見学の記録。

で、ちょっと思い立ってウイキペディアの「前方後円墳」をのぞいた 。

1.見つかっていないのは北海道、青森県秋田県沖縄県
2.最多は千葉県の約720基。
3.対馬壱岐隠岐の離島にはあるが淡路島にはない。
4.大型の前方後円墳は、近畿と宮崎県が中心。

う~ん。

ヤマト王権は広大で?
鹿島・香取は重要拠点だったのか?
ヤマトにとって淡路島とは何だ?
やっぱり神武は宮崎から出たのか?