志野神社

神功皇后行幸地とされる「小竹(しの)宮」の比定地のひとつである
志野神社を探しに行きました。場所は、紀の川市北志野。
 
 
志野(しの)という地は、亡き父の生まれ故郷。
50年前には幾度となく訪れていた場所です。
だからおおよその場所はわかりますが、神社の位置はわからない。
 
 
この看板を見つけて「もしや」と思い、立ち寄りました。

すぐ南は京奈和自動車道の工事現場です。
 
 
 
 
 
 
 
 
車を停めて、中に入ってみましたが、まったく無関係。
何の施設なのか、未だにわかりません。

 
 
 
 
 
 
 
かすかに見覚えのある道をくるりしながら、
出会った土地の人に教えてもらい、やっと見つけました。

この石碑の裏を見ると「昭和20年1月」と彫られていました。終戦の年です。
「そういう時代なのに」と思ったが、「そういう時だからこそ」なのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
父の生まれた家には父の長兄がいて、僕らはその人を「志野のおいやん」
と呼んでいました。僕らが住んでいたのはそこから数キロ離れた場所で
砂埃をあげて走るバスが移動手段だったと記憶しています。
父たちにとって、この神社は日常だったのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
いつの時代のものだろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
本殿は、りっぱなものです。

 
 
 
 
 
 
 
 
七五三縄も、きれいなものです。

 
小竹宮の比定地は他にも数カ所ありますが
ここがそうなのだろう、という感じがします。
紀の川筋は大和と瀬戸内を結ぶ便利な土地。
この神社は、平地ではあるけれどやや小高いところにあり、
南に広がる紀の川平野が一望できます。
 
 
 
 
 
 
すぐ右手奥には、桜池という周囲4キロという巨大な人工池があります。
堤だけでも見応えがあります。

 
 
 
 
 
 
 
 
江戸時代、初代紀州藩主、徳川頼宣の命で築造されたようです。

 
神功皇后の追っかけのつもりが、父親の追っかけみたいになりました。
父親も、志野のおいやんも、何十年も前に逝きました。
 
昨年だったか、
志野のおいやんの奥さんが亡くなったと聞いてびっくり仰天。
時の感覚が麻痺したような気になりました。
102歳と聞いて、「ありえるか」と納得したのでした。
 
平成25年12月