2011-12-10 竹田城跡 兵庫県 応仁の乱における西軍の総大将、山名宗全による築城で、太田垣光景が初代城主と伝わる。以降太田垣氏6代が続き、その後信長、秀吉軍に攻められ、秀長、そしてその家臣桑名重春(のち和歌山城代)が城主となり、秀吉に投降した赤松広秀が最後の城主となる。関ヶ原の戦いにより赤松広秀は切腹、1600年廃城となった。現在残っている石垣は、この赤松氏時代のもののようです。 駐車場から一番なだらかなコース「かめコース」を歩きます。片道約30分。この景色が見え始めると、すでに気持ちが高ぶっていました。 かめコースは、北千畳と呼ばれる一画にある大手門に着きます。 北千畳。 北千畳の端っこです。前日までの天気予報は、曇り時々雨。ところが当日、どういうわけか、快晴でした。 息を呑む、という言葉を実感します。周りに、無粋な囲いなど一切ありません。 北千畳から見る本丸、天守跡。 かつて、こんな景色は見たことがありません。 南千畳。 天守跡から見る南千畳。 お昼時。弁当を持ってくるという発想がなかったことを悔やみました。 「雲海に浮かぶ天空の城」これは立雲峡から見える竹田城のようですが、晴れた日、その地に足を踏み入れても、圧巻でした。 撮影日:平成23年10月21日