信貴山

信貴山朝護孫子寺をナビに設定して出発。
着いてみると、いつものことながら、どうも様子がちがう。
パンフを見ると、「総本山信貴山」とあり、朝護孫子寺はただ「本堂」と書かれている。
 
とにかく駐車場から道なりに進む。

 
 
 
最初に見えたのは、赤門。その名のとおり朱ではなく赤。新鮮な色です。
信貴山という名は、丁未の乱の折、聖徳太子が名付けたと伝わります。

 
 
 
本堂、朝護孫子寺

 
 
 
 
ここ信貴山は、いろんなものが密集しています。あまりにも建物その他が多く
「ちょっと来てみました」という私みたいな不心得者には、見きれません。
 
この写真は本坊と玉蔵院をつなぐ建物です。赤門から、西に向かったところです。

 
 
 
 
わけがわからず、本坊あたりから東の方に折り返すと、千手院があります。
赤門をくぐってからずっと、護摩行と思われる煙と読経が続いていました。

 
 
 
当然のことながら、普段は目にしない光景です。

 
 
 
千手院から少し北東に階段を登ると、本堂があります。
そしてこの階段左側に、小さな霊宝館があります。
あの「信貴山縁起絵巻」の複製などがありますが、
私は楠木正成の「菊水の旌旗」が妙にリアルで気に入りました。
このあたりは、南朝ゆかりの地です。

 
 
 
この本堂のちょっと北には信貴山城跡があります。
松永弾正が信長に所望された平蜘蛛釜に爆薬を詰めて自爆したと伝わるところです。

 
 
なんとも不思議な空間です。いっぱいいっぱい建物があってどれも清々しい感じです。
言い方を変えると、建物群は割合新しく、その分、重厚さが感じられないということでしょうか。
とは言え、聖徳太子から始まるその歴史には重みを感じます
 
ちなみにここは、
昭和26年、高野山真言宗から独立した信貴山真言宗本尊は毘沙門天多聞天)です。
 
撮影日:平成24年3月25日